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ネパールみどころガイド

カトマンズ

Kathmandu

1979年ユネスコの世界文化遺産に指定された古都 カトマンズは、人口およそ170万人のネパールの首都で、別名を「カンティプール」(栄光の都)と言い、1990年の民主化を機に急速に成長を遂げています。首都にしては小さな印象を受けますが、ここはネパール随一の大都会。レンガ造りの街並みは中世の世界に迷い込んだような印象を受けます。街のいたるところに小さな寺院があり、宗教都市としての趣に溢れ、日本人にとってはなぜか懐かしくてたまらない気持ちにさせられる街でもあります。かつてこのカトマンズこそが「ネパール」と呼ばれていました。今でも農村部の人たちは「カトマンズへ行く」ことを「ネパールへ行く」と言います。カトマンズを見ずしてネパールを見ず。

ダルバール広場/ Darbar Square

「ダルバール」とは「宮廷」という意味です。その名のとおり、マッラ王朝時代にはカトマンズ王国の中心部でした。王たちが美しさを競い合って建てた広場なので、その建物の装飾の美しさには目を見張るものがあります。広場に立ち並ぶ20数棟にも及ぶ寺院にはいろいろな時代のものが混在しています。このように古くから王族の由緒正しい場所であるダルバール広場では、今でも王族の戴冠式や即位式が行われます。この広場には生き神の住むクマリの館を始めとする見どころが多くあります。また、周囲にはハヌマン・ドカと呼ばれる旧王宮もあり、いつも観光客で賑わっています。広場の近くには庶民のバザールもあります。

ダルバール広場

クマリの家/ Kumari Bahal

1757年にカトマンズ最後のマッラ王朝の王、ジャイ・プラカース・マッラによって建てられた、生き神と信じられているクマリが住んでいる館です。2頭のライオン像がその入り口を守っています。クマリはタレジュー神(ドゥルガ)の化身であると信じられており、ネワール・サキャ族の由緒正しい家の出身の、少女の中から選ばれます。他の地域にもクマリは何人かいますが、このカトマンズのクマリが最も重要なクマリであるとされます。団体で訪れ、いくらかお布施をするとクマリは顔を見せてくれますが写真を撮ることはできません。年に一度、国王もクマリに会いに来て、祝福のティカ(おでこに赤いしるしをつけてもらうこと)を受けます。年に一度のインドラジャトラの祭りでのクマリの山車巡行は必見です。

クマリの暮らす館
クマリのポストカード

シヴァ・パールヴァティ寺院/ Shiva-Parvati Mandir

18世紀にゴルカ王朝のバハドゥール王によって建てられたもので、2階の窓からシヴァ(破壊の神)とパールバティ(その奥さん)の彩色された木彫りが町を見下ろしています。寺院の入り口には寺を守る白いライオンの像があります。

シヴァ・パールヴァティ寺院

ハヌマン・ドカ(旧王宮)/ Hanuman Dhoka

「ハヌマン」とはヒンドゥー教の猿の神様「ドカ」とは門のことで、ハヌマン像のある門がもともと「ハヌマン・ドカ」と呼ばれていましたが、今では旧王宮もその付近もすべてハヌマン・ドカと呼ばれています。旧王宮は17世紀に造られたもので、ネワール建築の集大成とも言えるすばらしい装飾を目にすることが出来ます。今、王族はここには住んでいませんが、現在でも外国の要人が訪れたときには、行事のために使われています。ハヌマン像は1672年にマッラ王朝の王、プラタップ・マッラによって作られました。像の横にある金のドアが旧王宮の正門にあたり、2頭のライオン像がその入り口を守っています。

ハヌマン・ドカの塔
内部は精巧な木彫で埋め尽くされています

カ-ラ・バイラヴ/ Kala Bairav

カトマンズにある石像の中では最も大きいものの一つで、シヴァの化身であるカーラ・バイラブの像です。シヴァの破壊神としての化身で、目を見開き、首に頭蓋骨のネックレスを巻き、人間の皮を羽織って、人々を恐れさせる外見をしています。 カーラ・バイラブの前でうそをつくと即座に死んでしまうと信じられており、17~18世紀には、政府はこの像の前に犯罪の容疑者を連れてきてその罪を白状させていたといいます。

カ-ラ・バイラヴ

アサン・チョークとインドラ・チョーク/ Aasan Chowk & Indra Chowk

アサン・チョークはマチェンドラナート寺院の近くにある旧市街の中心地です。スパイスや野菜を売る人、牛、人、リキシャ・・と非常に賑やかな庶民の広場です。広場の端のほうにあるアンナプルナ寺院からは道行く人が鳴らす鐘の音がいつも聞こえます。市場は朝5時頃から8時頃まで立ちます。 インドラ・チョークは中世の街並みをそのまま残す通りで、日用品やサリー、毛織物などの店が軒を連ねています。上を見上げると建物の窓の装飾がとても美しいことに気が付きます。マチェンドラナート寺院、ガネシュ寺院、アカシュ・バイラブ寺院、シヴァ寺院もここにあり、カトマンズの旧市街の雰囲気を味わうなら一度は訪れたいところです。

アサン・チョーク
活気ある庶民の市場
参拝者のための花を売る店
野菜を売る人
ネワール建築が残る旧市街

タメル / Thamel

言わずと知れた、カトマンズのバックパッカーの拠点として賑う地区。いわゆる安宿、ゲストハウスが集中し、カフェやネパールの土産や登山用品を売る店が軒を連ねます。バックパッカーの情報交換の場でもありましたが、最近はおしゃれなショップなども多く出店され、ネワール建築のブティックホテルなどもあります。

活気あふれるタメル地区

スワヤンブナート / Swayambhunath

町から2kmほど離れたところで町を見下ろすように建っているのがスワヤンブナートです。カトマンズがまだ湖であった時代に、この地にやってきた文殊菩薩が湖を切り開き、カトマンズを盆地に変え、大日如来を讃えて、スワヤンブナートを建てたという伝説を持っています。約2,000年の歴史を誇るこの仏塔は、ネパールで最も古い寺院で、世界で最も壮麗な仏塔の一つとされています。
仏塔にたどり着くには385段の階段を露店や物乞い、獅子やガルーダの石造をその参道に見ながら進んでいきます。仏塔の高さは15m、四方に全てを見通すというブッダの眼が描かれています。境内で見られる建物は多様です。子供を護る神様を祀るハリティ寺院やチベット仏教のカルマ・カギュー派の僧院、インドのシカラ様式の仏塔・・・と宗教の混在するネパールならではの寺院と言えます。
盆地の底部からの高さが77mもあるので、ここからの眺めはすばらしいものです。13世紀までにはカトマンズ盆地で最も重要な仏教聖地となり、15世紀にはイスラム教徒により破壊されたが再建され、20世紀後半には中国から来たチベット人たちが周辺に住みつくようになりました。また、この寺院は別名「モンキー・テンプル」とも言われ、猿の姿をいたる所で見かけます。食べ物の入ったビニール袋などを持っていると猿に取られてしまうこともあるので気をつけましょう。

ネパール仏教寺院 スワヤンブナート
奉献ストゥーパ
スワヤンブナートからのカトマンズ市内の眺め
プージャが行われていることも

パシュパティナート / Pashupatinath

カトマンズから東に5km、ガンジス川の支流であるバグマティ川の川岸にあるネパール最大のシヴァ寺院。インドのヒンドゥー教徒にとっても重要な寺院で、インド亜大陸にある四大シヴァ寺院の一つでもあります。 シヴァラートリー(シヴァ神の誕生日)の日にはインド・ネパール中の巡礼者がこの寺院に詰め掛けます。破壊神であるシヴァは様々な化身を持ちますが、「パシュパティ」もその化身の一つです。 この場所には879年からシヴァ寺院があったことがわかっていますが、現存の寺院は1697年にマッラ王朝のブパティンドラ王によって建てられたものです。しかし、キラテシュワール寺院にある最古のシヴァ・リンガから推測するに、紀元前3世紀には最初の寺院が建てられたのではないかと言われています。パシュパティナート寺院は23.6mの高さをもち、寺院の四面には金色の扉が付いており、扉の両側にはヒンドゥー教の神々の像があります。 女性の力をあらわすグヘスワティ寺院は1653年に修復されたもので、父親のために火の中に飛び込んだと言う神話を持つ、シヴァ神の一人目の奥さんのサティデヴィ(カーリー)のための寺院です。この寺院にはヒンドゥー教徒以外は入ることはできません。

ラジュラジェシュワリ寺院は1407年に建てられたものですが、こちらもヒンドゥー教徒以外は中に入ることが出来ません。他にもゴラクナート寺院、ヴィシュワループ寺院などの寺院があります。橋の近くにはアルエ・ガートという火葬場があります。ヒンドゥー教徒はここで火葬されるのですが、一番川の上流にある火葬場は王族のものなので庶民は使うことはできません。また、火葬場は写真を撮ることは厳禁ですので気をつけてください。中に入ることは出来ませんが、バグマティ川の対岸から寺院の様子が良く見えます。ここにも猿が多くいるので、食べ物を入れたビニール袋を持ち歩いたり、物を食べたりすると危険なのでやめましょう。シヴァラトリ以外の祝日では、エカダシ、サンクランティ、ティージ、プルニマ(満月の日)などに多くの人が参拝します。

パシュパティナートのガート
荼毘に付し、祈る人々

シヴァ神の生誕祭・シヴァラトリ年に一度シヴァ神の生誕を祝うお祭りで、シヴァ神が地球上に降り立つ唯一の日とも言われます。この日には、ネパールやインドでは夜通しで祈りの歌や踊りが行われ、人々はシヴァ神を祀る寺院に集まります。 ネパール最大のシヴァ寺院であるカトマンズのパシュパティナートは、ネパールだけでなく隣国インドからも何万という人々が巡礼に訪れ、ひときわ賑います。神の名を唱え、神を想い礼拝する事で人生が清められると信じられ、人々は口々にシヴァの名を唱えながら参拝します。

修行者サドゥ

ボダナート / Boudhanath

カトマンズを訪れる観光客のほとんどの方が訪れるチベット仏教の聖地がボダナート。カトマンズの町から東へ約7kmの所にある、南アジア一大きな仏塔を持つとされる寺院で、高さは36m。ボダナートはかつてのチベットとの交易のルート上に位置し、ここを通るチベット商人の休息地として、そして旅の無事を感謝し帰路の安全を願う祈りの場所となってきました。1950年代からは中国から亡命してきたチベット人の多くがこのボダナートの周りに住むようになり「リトル・チベット」として発展。ボダナートはネパールにおいてチベット人の信仰と暮らしを知ることができる場所で、マニ・コル(マニ車)を回しながら歩く巡礼者の姿やチベット僧が参拝する姿を目にします。熱心な信者の中には五体投地で参拝する人たちも。
一般的にボダナートが建立されたのは5世紀といわれていますが、確証に欠けるため実際の建立年代は不明です。仏塔は真上からみるとそれ自体がマンダラになっています。四層の台座は地、半球体のドームは水、目が描かれた部分と13層の尖塔は火、頂上の円形の傘は風、先端の尖塔は空、というチベット仏教における宇宙を構成する五大エネルギーを象徴しています。ドームの下にある108のくぼみには、ひとつひとつに仏像が彫られています。 ボダナートの周りにはチベット族やタマン族の経営する商店、おしゃれなカフェがたくさんあり、マニ車やチベット・アクセサリー、ククリ、手織りのカーペットなど色々なものも売られています。

チベット仏教の聖地 ボダナート
仏塔を回る(コルラ)参拝者
経典を読む参拝者
ボダナートにはチベット寺院もあります
河口慧海の記念碑
河口慧海の記念碑
参拝者が後を絶たない聖地

河口慧海の碑
「ここに日本とネパールの友好が始まる 河口慧海1899年2月、仏教の原典を求めてチベットへの旅の途上、日本人として初めてネパールを訪れた河口慧海は、ブッダ・バジラ・ラマ師の庇護をえて、ここボードンクァートに滞在し、苦難の末チベットへ入り多くの貴重な原典を日本に持ち帰った。ブッダ・バジラ・ラマ師をはじめとする多くのネパールの人々の温かい支えなしにこの偉業は成功しなかった。
ここに、ネパールとネパールの人々への感謝をこめて、初めてネパールを訪れた日本人である河口慧海ゆかりの地に、日本とネパール両国民の永遠の友好を祈念して顕彰碑を設置するものである。」
1997年11月 住吉薫(1995年9月26日没)

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