タジキスタン
Tajikistan国土の90%は山岳地帯が占め、6,000~7,000m の山々が連なる「世界の屋根」パミール高原を有する大自然に恵まれた国です。 北部にホジャンド、イスタラフシャンなどの古都があり、東部には国土の45%を占めるゴルノ・バダフシャン自治州 がありパミール諸族が暮らしています。1990年代の内戦のため、あまり知られることが少なかったタジキスタンですが、近年多くの観光客が訪れる国になっています。
まだ歴史の新しいタジキスタンの首都。名前の通り"月曜日"に市のたつ田舎町でしたが、1920年に、ブハラ・ハン国最後の王がドシャンベに逃れボルシェビキと戦い、反革命軍の拠点となりました。1921年にはボルシェビキに落ち、1925年ソ連タジク自治共和国の首都"スターリナバード"となりました。1961年、再び町の名は"ドシャンベ"に戻りました。80年前に街づくりがはじまり、現在は人口70万人の都会。街路樹に囲まれた美しい町です。
北部にあるタジキスタン第二の都市。かつてアレキサンダー大王に、「アレキサンドリア・エスハータ(最果てのアレキサンドリア)」と名付けられた古都です。13世紀には、バトゥ率いるモンゴルの襲来を受けます。ソビエト時代はレニナバードという名前でしたが、独立後にホジャンドと名前を改めています。町の中心には、中央アジアの大河シルダリアが流れています。
パンジシャンベ・バザール「木曜日」という名前の通り、かつては木曜日に市が開かれていたバザール。タジキスタンやウズベキスタンからの商品で溢れています。
2500年もの歴史を持つ古都。イスタラフシャンはかつてシルクロードの職人バザールとして栄え、現在もその面影を残します。
ザラフシャン川近くの丘の上にあるソグド人の都市遺跡。西へ東へ隊商を連ね商いをして歩いたソグド人は、各地から取り入れた華麗な文化をこのペンジケントに残しています。 ゾロアスター教を信仰した彼らの拝火神殿跡や、バザール跡やキャラバンサライ跡も残ります。 また、インドから来た隊商達が使ったヒンドゥー教寺院もあり、古代の国際都市であったことがうかがえます。 アラブの浸入により、町全体が焼亡しましたが、ペンジケントで出土した壁画などは、ドゥシャンベの博物館に展示されており、当時の様子を垣間見ることができます。また、ソビエト時代から長年にわたり発掘調査が行われており、壁画や、カロシュティ―文字などで書かれた売買契約書などが出土しています。また、ペンジケント発掘に生涯を捧げたボリス・マルシャーク博士は、ペンジケント遺跡に眠っています。
タジキスタンの国土の45%を占めるゴルノバダフシャン自治州。パンジ川の対岸のアフガニスタンを望むワハーン渓谷や、ヒンドゥークシュの山並みと数々の史跡が残る所です。アーリア系のパミール諸族の人々は「パミール人(パミーリー)」と呼ばれ、独自の文化と言語を持ちます。 ヴァンには仏教寺院の基壇が残されており、かつては仏教の中国伝播のルートであったこともわかります。
アフガニスタン、中国、キルギスと国境を接する「世界の尾根」パミール。 キルギス族の放牧とユルトの広がる世界です。ホルグとオシュを結ぶパミールハイウェイの峠付近に咲き乱れる花、高原に点在する湖は神秘的な美しさが広がる世界です。