チャドの旅
知られざるサハラの大国チャド。これまで農業と牧畜を中心としていた国が資源開発で変わりゆく中、チャド北部にひかえる砂漠と山地には「手つかずのサハラ」の姿が残されています。西遊旅行がお送りする日本初のチャド旅行ガイドです。
知られざるサハラの大国チャド。これまで農業と牧畜を中心としていた国が資源開発で変わりゆく中、チャド北部にひかえる砂漠と山地には「手つかずのサハラ」の姿が残されています。西遊旅行がお送りする日本初のチャド旅行ガイドです。
チャドの首都で人口100万人の首都ンジャメナ。国際空港があり、チャド観光の基点となります。その起源は1900年にフランスの司令官の名前を取った町フォート・ラミで、1973年にンジャメナに改名されました。
チャド中央部はアカシヤの林やステップの草原広がる大地。また、ゲラ山地、スーダンとの国境をなすワダイ山地のような岩山もあります。サハラ南縁部の豊かな遊牧の暮らしが営まれている地帯です。
「タッシリ」とは風と雨により浸食された堆積岩(砂岩)の台地のことをさすアラビア語です。サハラ砂漠にある大きなタッシリにはタッシリ・ナジェール(アルジェリア)などがありますが、このエネディ山地も巨大な「タッシリ」。エネディ独得の渓谷、ワディ、ゲルタを作り出しています。
ティベスティ山地はチャド北部にある休火山群の巨大な山塊です。チャドの最高峰エミ・クーシ(3,415m)、リビアの最高峰ビクー・ビティ(2,267m)もティベスティ山地にあります。
エネディ山地北部に広がるモウルディ低地、デルビリ砂丘、バイガ砂丘、そしてウニャンガの湖群。デミの「赤い塩」、そして湖から取れる「塩」を求めてキャラバンが行きかったルートです。
名称 | チャド共和国 Republique du Tchad |
面積 | 128.7万K㎡ |
人口 | 1097万人(2012年現在) |
首都 | ンジャメナ N'Djamena |
時差 | 日本との時差 -8時間 |
公用語 | フランス語、チャド・アラブ語 |
民族 | 200以上の民族からなる複合民族国家。サラ、チャド・アラブ、マヨ・ケビ、カネム・ボルノウ、ワダイ、ハジャライ、トゥブ等 |
宗教 | 基本的に北部はイスラム教、南部はキリスト教徒が多い |
通貨 | セーファーフラン(中部アフリカ諸国銀行発行セーファー) |
チャド北部の砂漠の旅の季節は10月~3月。北部のエネディ山地、ティベスティ山地では12~1月は気温が0度近くまで冷え込むこともあります。中部から南部にかけては通年35~40度と気温が高くなります。雨期は6~9月半ばです。 チャドでは観光客の服装の制限はありませんが、しっかりとした日焼け・暑さ対策、冬に北部へ行く方は防寒着をご用意ください。中部から南部を旅行される方はマラリヤの予防薬の服用をお勧めします。
現在、日本にチャドの大使館がありません。第3国で取得するか、到着時に発給されるように事前手配が必要となります。
詳しくはお問い合わせください。
首都ンジャメナでは西洋人向けのレストランやバーがあり困ることはありませんが、ンジャメナ以外の場所では、地元の焼き肉とフランスパンを売っている道中の食堂かピクニックとなり、首都を離れて旅行に行くときは原則として自炊か、コックさん同行のツアー参加となります。お酒は首都のンジャメナで手に入ります。民間の食堂の食事は、肉ソース煮込みとフランスパンかごはん、ボルと呼ばれるミレットやソルガムから作られるチャドの主食が一緒に出されます。
ンジャメナのレストランの食事例
民間の食堂の食事例
チャドには日本の外務省から危険情報が発出されています。首都ンジャメナは近年めざましく発達し、外国人の利用できるホテルやレストランもあり治安は安定していますが、北部は長年の内戦のため、人々は保守的で写真を嫌う傾向があります。また、依然として北部には内戦で利用された武器が放置されていたり、一部には地雷が残っています。 観光客が入れるようになったとは言っても、首都のンジャメナを出たら整備されたホテルはなく、安全な場所と道を知る人たちと一緒でないと旅行できない場所であることをご理解ください。また、突然政情が変化する可能性のある国であることもご理解ください。
チャドは写真撮影のしにくい国のひとつです。軍人や警察には絶対にカメラを向けず、軍や警察の入っている建物の撮影も禁止です。また北部のトゥブ遊牧民は保守的で写真を嫌がる傾向にあります。いずれの民族、遊牧民であってもトラブルにならないよう、事前に撮影の許可をとるようになさってください。
サハラ最深部 チャド北部サハラ踏査行。チャドの旅において日本一の催行実績を持つ西遊旅行で行く、本格的なサハラ踏査の旅。太古からの地殻変動により作り出された驚異の地形が広がる変化に富んだ砂漠へ。