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秘境ムスタン その1 ~ジョムソンからツァラン~
文・写真若井崇嗣
「古き良きチベット」と呼ばれるムスタンはいったいどんなところだろうか。荒涼とした不毛の地、チベット仏教が息づいている地、王制が崩れた今、王様はどうされているのか、ネパールに対する思い、チベットに対する思い、そして中国に対する思いなど、様々な気持ちを抱きつつ、ローマンタンを目指す。
ツァランの入り口近くの仏塔
ツァランの入り口近くの仏塔

ローマンタンはネパールとチベットの国境に位置し、インドとチベットの塩の交易の中継地として栄えた、かつてのムスタン王国の首都である。現在はネパールのダウラギリ県ムスタン郡。長い間、鎖国されていたため、ムスタンはしばしば「禁断の王国」と称される。人口は約1万人弱。この禁断の地に特別許可を取得して訪れることができる。ここにはチベット仏教を深く信仰する人々が伝統や文化を守りながら静かに暮らしている。日本人として初めてチベット入りを果たした河口慧海が滞在した地でもある。

ムスタンの印象を色で表すときっと「褐色」ではないだろうか。それはあたっているが、壁画の鮮やかさを見落としている。集落の入口には美しいチョルテン(仏塔)が建っている。ムスタン地方のものは独特である。まるでチョルテンを保護するかのように屋根が架けられている。このようなチョルテンはチベットでは見たことがない。

さらに驚くのは内部の古い壁画。あまり保護されていないわりに、美しく繊細な青を基調とした壁画が残っている。ラピスラズリの色だろう。壁画の美しさは各地のゴンパ内部でも筆舌に値する。ムスタンの壁画は誰が見ても本当に美しいと思うだろう。珍しいのは、お堂の中に建てられた仏塔群。これらの仏塔の中には、村が危機に陥った時、修復などに使うための金銭的価値の高い品々が納められているという。いずれも保護、修復活動が徐々に進められているが、援助、予算に限りがあり、思うようには進んでいない。地球温暖化で降水量が増えている今、早急な対応が求められている。

また、この季節、村々の畑は麦の緑と蕎麦のピンク色の花が揺れている。峠からは緑とピンクの絨毯のようにみえる。

ジョムソン街道の入口ベニでバスを乗り換える
ジョムソン街道の入口ベニでバスを乗り換える
カリガンダキの濁流が轟音と立てて流れ落ちて行く
カリガンダキの濁流が轟音と立て流れ落ちて行く

世界で最も深い谷を飛ぶはずが、悪天候のため、あいにくのフライトキャンセル。かつては車が通れない道だったので、フライトを待ち続けるしかなかったが、悪路とはいえ今は陸路で行けるようになっている。

カリガンダキ(川)に沿って、東はアンナプルナ、西はダウラギリという2つの8,000m峰が形成する「世界で最も深い谷」を走ることになる。開通してまだ2年足らずのこと。人の流れ、物の流れが車に依存するようになり、人々の生活、意識も大きく変化してきているはず。急激に変わりゆくジョムソン街道を見る旅も悪くはない。まずはポカラの町を抜けて、ノーダラの丘を越える。

そして谷を流れるモディ・コーラ(川)沿いを走る。雨に濡れた緑が美しい。ベニに到着。この町には20年ほど前から道路が整備され、ポカラから車で入れるようになった。ジョムソンを目指す外国人は皆この町で山に入る準備をしてから歩き始めた。昔からこの街道の起点でもあり、終点でもあったため、町は活気に溢れ、トレッキングにかかわる仕事に従事する人々で潤っていた。建物は立派だし、大きな学校もある。皆、豊かな印象を受ける。

この町から西へ向かうとダウラギリの南側から西側へ回りこむ道路が続いている。我々はカリガンダキ(川)を遡っていく。

ジョムソン街道を走り始める。もともと歩く道だったので当然だが、振動と唸るエンジン音に耐えなければならない。バスで山登りをしている感覚。硬い座席にしがみついていないと振り落とされるか、身体のあちこちをぶつけそうになる。我々の思いは無視して快調に飛ばしていく。幸い、途中で故障することなく、順調に終点のティトレに到着。ここからは土砂崩れで車輌は通行止め。歩いていくしかない。荷物もすべて担いでいかなければならない。

スタッフがジョムソンから迎えにきてくれていた。これから先も土砂崩れが発生して、車が通れない箇所が増えているため、さらに歩く距離が長くなるという。右下には猛烈な勢いでカリガンダキが濁流となって流れ落ちていく。この勢いでは路肩が崩れるのではないかと思うほど。3時間近く歩き続けて、ようやくガサに到着。日が陰ってきた。今日は無理をせずに、ここガサで泊まることにした。ロッジの名前は「オールドムスタンゲストハウス」。何か因縁めいたものを感じる。コックもいなければ、寝袋もない。キッチンスタッフ、装備はすべてジョムソンで我々を待っている。

夕食はロッジのおかみさんが作るネパールの定食「ダルバート」。着の身着のままで木枠のベッドに横になった。暗闇にホタルの光が舞っている。

土砂崩れで車は通れない。足元、頭上に注意を払って静かに進む
土砂崩れで車は通れない。
足元、頭上に注意を払って静かに進む。
ガサ・オールドムスタンゲストハウス
ガサ・オールドムスタンゲストハウス

ジョムソンはまだまだ遠い。相変わらずどんよりと曇っているが、幸い雨は落ちてきていない。今日は3回バスを乗り換えなければならない。河原を走るはずが、雨で川が増水しているため、バスでは通れない(渡れない)箇所がある。川がある度にバスを乗り換え、荷物も積み替えなければならない。それでもこちらもだんだん慣れてくる。バスを降りたら「曇空トイレ」を済ませ、橋を渡る。シェルパ、ガイド、添乗員は荷物を担ぐ。橋を渡りきると次のバスが待っている。その繰り返しである。

やがてジョムソン空港の滑走路が見えてきた。空港建物の前を通過する。ポカラからのフライトは一本も飛んできていないという。それを聞いてホッとする。陸路を選択した判断に間違いはなかったと嬉しくなる。ジョムソンに到着したのは、日本を出発して6日目の朝。ようやくである。行政区分ではここもすでにムスタン(郡)になるが、我々が目指すのはカグベニから先の「アッパームスタン」である。

アッパームスタンの入口、カグベニに向けてジョムソンを出発する。ようやく自分の足で歩くことができる。石畳のメインストリートを北へ。ジョムソンの町はずれに馬は待っていた。ムスタンの馬は小柄なため、重心が低く、揺れが少なく乗りやすい。いよいよローマンタンを目指す旅が始まる。

馬の背に揺られ、カリガンダキの河原を歩いていく。今では車道がつけられていて、車、バイクがカグベニまで走れるようになった。かつてはロッジが1軒しかなかったエクレバッティ(エクは数字の1、バッティはロッジのこと)の先にカグベニの紅いゴンパが見える。麦や蕎麦の畑が広がっている。ほとんどは荒涼とした褐色の世界だが、今は雨季で瑞々しい緑の季節。カリガンダキの流れは雲の隙間から時折あらわれる午後の太陽の光を受けて輝いている。

カグベニが見えてきた
カグベニが見えてきた

カグベニまでやってきた。陸路でやってきた分、ようやくというに相応しい。早速荷物をロッジに置いて、町の散策に出かける。限られた土地に建物が密集していて要塞のような造りで迷路のようになっている。

北はムスタン、東は聖地ムクティナートからトロンパスを越えてアンナプルナ山群の裏側、西は秘境ドルポへと続く。ここから北へは特別許可がなければ立ち入ることは許されない禁断の地。カグベニのゴンパの屋上からは、荒涼した大地、カリガンダキの流れが見える。そのずっと先にはまだ見ぬローマンタンがある。ここからは本格的に歩くことになる。2本の我が足と4本の馬の足だけが頼りである。

町がひとつの要塞のようになっているカグベニ
町がひとつの要塞のようになっているカグベニ
入り組んだ路地には思いがけない魅力がいっぱい
入り組んだ路地には思いがけない魅力がいっぱい
路地には発見の連続
路地には発見の連続
ガサ・ゴンパに眠る経典
ガサ・ゴンパに眠る経典

カグベニのゴンパからアッパームスタンを望む

未知なる世界へと入っていく。カグベニの町を出るところにチェックポストがある。その事務所で許可証のチェックを受ける。名前と戻る予定日を台帳に記入する。この間、展示された資料や写真に目を通す。ムスタンが外国人に開放されたのは1991年10月。1992年以降、入域した人数が国籍別に表になっている。NHK取材班は92年5月に入っている。一番多いのはフランス、次いでドイツ、アメリカ、スイス、イタリア、英国、日本と続く。日本人は年間30人程度。2009年までの総数は593人。昨年(2009年)は24人。今年は西遊だけで17人になる。まだまだ遠い秘境であることに変わりはない。

「許可なき者はこの先にはいけない。戻れ」という看板が立っている。いったん河原近くまで下り、また登っていく。やがてカグベニの町がみえなくなる。車が通れるように道路の整備がすすんでいる。未舗装だがかなり出来上がっている。完成は時間の問題。ムスタンまで車で行ける日が近い将来やってくるかもしれない。そうなるとムスタンではなくなってしまう気がする。

カグベニ
カグベニ
カグベニを出発ここから禁断の地に入っていく
カグベニを出発ここから禁断の地に入っていく

日陰はまったくない。今回は曇っているので耐えられるが、これが快晴だったら日差しの強さに参ってしまうに違いない。雲の切れ間から時折差す太陽光線は強く、服の上からでも痛みを感じるほど。見る見るうちに日焼けしていくのがわかる。緩やかに登っていく。登りきると平坦な大地に出る。タンベの村が眼下にみえる。砂漠のオアシスのように緑が集まっている。いったん谷あいまで下り、村へと入っていく。パイプから水が勢いよく流れ出している。ここが水場になっている。近くの農作業の場所を借りて昼食をとる。畑から採ってきたリンゴが実においしい。疲れた身体に瑞々しい酸味がたまらない。トゥクパ(チベットの乾燥めん)をお腹に入れて、また歩き出す。

少しずつ斜面を登っていく。昼食の後片付けを済ませたスタッフ達があっという間に追い越していく。彼らはまた先回りをして夕食の準備をする。頭が下がる。この辺りも車道がしっかりと整備されている。車が走るとこの村は通り過ぎるだけの村になるのは間違いない。ここに住む人々にとって便利になるのは確実だが、それが100%幸せにつながるかどうかはなんともいえない。

アップダウンが続く
アップダウンが続く
荒涼とした大地とカリガンダキ
荒涼とした大地とカリガンダキ

登り切るとまたカリガンダキが視界に入ってきた。細々とした道は下っている。せっかく登ったのにもったいないとの声が漏れる。遥か上方の尾根付近に人が歩いているのがみえる。彼らはいったいどこへ行くのだろうか。遊牧民にしては動物を連れているわけではない。この尾根の向こう側に何があるのかはよくわからない。下り切ると、またしっかりとした車道に出てきた。タンベからの車道はこの山越えができないため、川沿いを回りこむようにつなぐ必要があるが、まだこれから崖を削らなければ車が通れるスペースはなさそうである。

ブル(ドーザー)とショベルカー、ダンプカーがあれば、開通にはそう時間はかからないだろう。川が近くなり、遮るものがなくなり、強い南風がまともに吹きつける。巻き上がる砂塵はシャワーのように全身を打つ。あとはこの岩肌を回り込めば、また緑のある集落チュクサンに到着できる。

未舗装の車道を歩き始めてまもなく、先行していたシェルパが先には進めないため我々を待っていた。崖を削って付けられた細い道が、土砂崩れで崩落していて、まだ落石もある危険な状態だという。強い風が吹き付けると砂塵が舞い上がっていて視界も利かない。滑落すると間違いなくカリガンダキまで一直線。助かる見込みはない。ここで停滞するわけにはいかない。選択肢はただひとつ。この山を越えるしかない。急登が始まる。しかも足場は吹き上げた砂が堆積しているので崩れやすく、岩肌は風に洗われて滑りやすくなっていて、実に歩きにくい。けもの道のような頼りない幅のルートなので当然である。さらに南からの強い風が吹いて、バランスを崩しそうになる。斜面を猛スピードで駆け登ってくる風の音に恐怖感も増してくる。

「いったい彼らはどこへ行こうとしているのか」と他人事に思っていた尾根を歩く人たちは、まさにこの山越えの途中だったのだ。なんとか登り切ると、視界が開け、チュクサンの町が遥か眼下に見えている。風は弱くなり、暖かく感じる。今度は下りが待っている。馬に乗ったままでは危険な急な斜面をつづら折に下っていく。この山越えは全く想定していなかった。

思いがけない山越え、一段と空が近くなる
思いがけない山越え、一段と空が近くなる
山頂からチュクサン、さらにツェレを望む
山頂からチュクサン、さらにツェレを望む

チュクサンの集落の手前に大きな川がある。通常は流れの少ない所や浅瀬を選んで河原を縫うように歩けば問題ないが、雨で川が増水していて、渡れるラインが見つからない。スタッフたちが川に入り、深さを確かめる。膝上まであり、とても歩いて渡ることはできない。流れは速く、濁っていて見えないが石がゴロゴロと流れているので、足を痛める恐れもある。万事休すという状況でスタッフたちは知恵と経験を元に対策を練る。そして迅速に結論を出す。

3頭の馬を利用して、馬子、シェルパは裸足あるいは靴のまま川に入り、我々を一人ずつに馬に乗せ、我々の身体、馬の態勢を確保しつつ、慎重にピストンして渡り切った。その献身的かつ迅速な判断に感心するばかり。全員無事、川を越えて先に進むことができた。チュクサンの集落を抜け、先を急ぐ。細かなアップダウンを続け、河原へと下りていく。しかしここも増水していて簡単には進めない。足元に注意していると、アンモナイトの化石に遭遇することもある。カリガンタキに沿って進む。

ツェレへの坂の手前に「ムスタンゲート」と呼ばれる場所がある。ゲートといっても、チェックポイントなどがあるわけではない。あるのは鉄の橋と岩のみ。大地の割れ目のような厚い岩の間からカリガンダキが流れ出す様子は、ムスタンへの入口そのものである。橋に掛けられたタルチョ(色とりどりの祈りの旗)が風に揺れている。

ツェレの集落は間近である。最後の坂に取り付く前に、今度はカリガンダキに流れこむ小さな川が激流と化していた。すぐさまシェルパたちはルートを探す。足の置き場を確認して、我々の手を取ってくれる。彼らの力を借りなければ到底渡れない流れである。我々は辛うじて濡れずにここまでやってきたが、馬子、シェルパたちの靴は、歩くと水の音がする子供の長靴状態だった。

チュクサンで川を渡る
チュクサンで川を渡る
ムスタンゲートが見えてきた
ムスタンゲートが見えてきた
ツェレ村 近くで収穫した香草を計量してジョムソンへ運ぶ準備中
ツェレ村 近くで収穫した香草を計量して
ジョムソンへ運ぶ準備中

ここからは登りが続く。登り切るとなだらかな台地に出る。紫色の花が咲いている。さらに緩やかに登り、回り込むと断崖絶壁が現れる。そこに付けられた頼りない道を少しずつ登っていく。足場はしっかりしているが、階段状になっていたり、段差もある。オーバーハングしている箇所もありスリルがある。安全を理由に馬から下りて歩いてもらう。

断崖絶壁 秘境への道をいく
断崖絶壁 秘境への道をいく
吊り橋を渡らなければ行けない村が点在する
吊り橋を渡らなければ行けない村が点在する

秘境へと続く階段を上っているような錯覚に陥る断崖である。深い谷の対岸には緑に囲まれたギャガム村がみえている。立派な吊り橋を渡らなければ、この村へは行けない。今日はただ登るだけの日ではない。峠を目指して登っていくはずが、坂を登り切るとまた下ってしまう。サマル村を抜けると沢まで一気に下る。増水した急流を馬の背を借りて渡る。沢を越えたらまた急登が待っている。このまま峠を越えるのかと思いきやまた次の谷へと下り、登り返す必要がある。サマル峠を越えると緩やかに下り、ベナ村に到着。高度3,500~3,800m前後でのアップダウンは堪える。また沢に下り、再びバガラ(峠)へ向けて登り出す。この登りは緩やかだが、これまでのアップダウンの繰り返しがボディブローのように効いてくる。

ようやく峠を越えたと思ったら、せっかく登った分をまた下ってしまう。途中シャンボチェンに着く頃には「もうここで泊まりたい」という気分になっていた。ここでも道路は着実に整備されてきている。ショベルカー1台が孤独に作業をしている。この工事中の車道を横切るようにして登ると、向こう側にギリンの町が見えてきた。最後の気力を振り絞ったがなかなか着かない。ギリンへの道は見えてからが長い。疲れ切ってギリンに到着。これからの自分の体力と精神力がどこまで持つかどうかが心配になってきた。

いくつもの峠を越え、延々と道は続いている
いくつもの峠を越え、
延々と道は続いている

シャンボチェンヘと下っていく

ギリンは近い
ギリン村の背後にはムスタンらしい荒涼とした世界が迫っている
ギリン村の背後には
ムスタンらしい荒涼とした世界が迫っている
ついにギリン村に到着
ついにギリン村に到着

ギリンのゴンパに出かける。サキャ派の小さな寺。下の寺(タシーチョリンゴンパ)に続いて、上の寺(オゾゴンパ)も見学する。ただ絶景の中を進むだけなく、ゴンパの見学などでこの地方独特の文化に触れることができるのが嬉しい。ゴンパからはギリンの町が遠望できる。峠まではゆっくりと登っていく。シェルパたちは馬のスピードに合わせ、ペースを上げてくる。高度が上がると馬のペースが落ちてくる。高度4,000m近い峠では頻繁に立ち止まるようになる。息遣いが荒くなり、苦しそうである。それでも歩くよりは圧倒的に速い。

シェルパたちはにこやかに付いてくるが、さすがに噴出す汗(湯気)をみるときつそうである。峠を越えると、ピンク色で覆われた畑が広がる集落がみえてきた。ガミの村である。ピンク色は蕎麦の花である。麺にして食べるのではなく、「蕎麦がき」として食べる習慣がある。ダルやカレーをかけて食べる。

ギリンのゴンパへ
ギリンのゴンパへ
高台にあるゴンパからギリンの村を望む
高台にあるゴンパからギリンの村を望む
この峠を越えればガミ村が見えてくる
この峠を越えればガミ村が見えてくる
ガミ村
ガミ村

ガミの村は迷路のように入り組んでいる。集落には水路が張り巡らされて、勢いよく水が流れている。上部の川から取水した水を畑に流し込み、水場は人々の生活に潤いを与えている。荒涼とした世界に忽然と現れる緑とピンクのオアシスのような村である。ここで昼食をとる。綺麗で立派なロッジには仏間があり、香の煙に包まれた部屋にはムスタン各地やチベットから持ち出してきたという貴重な仏具や装飾品が並べられていた。

集落を抜けていったん川まで下る。小さな橋を渡るとまた厳しい峠越えの登りが始まる。この地に技術支援で尽力された近藤亨のガミ農場やガミの病院を眺めながら、高度を上げていく。ここでも未舗装ではあるがすでに道路が整備されていて、救急車が走っていた(救急車として使用しているのかどうかは不明だが)。部分的に道路を整備して、最後はそれをつないで全線開通となるのだろう。崩れかけた古い仏塔を横目に、ゆっくりと登り、峠に近づいていく。

斜面は徐々に急になっていく。馬は息を切らし、立ち止まることが多くなるが、それでも4本足でグイグイと登っていく。これまでで最もきつい登り。峠に到着。振り返ると「よく登ってきた」と馬に人参をあげたくなるほどの斜面。峠の向こう側は荒涼とし褐色の大地に緩やかな道が延々と続いている。まもなくシェルパたちが追い付いてきた。強靭な彼らもさすがにきつそうである。でもいつもの笑顔は絶やさない。馬を休ませるため、馬を下りて歩いていく。ツァランまでは快適な道のり。

蕎麦の花
蕎麦の花
ツァランの仏塔
ツァランの仏塔

ツァランまでやってきた。夕方、ツァランが近づくと真っ赤なゴンパと白い旧王宮が見え始めた。この景色を100年も前に河口慧海も見たのだと思うと、感無量になる。彼は休みになると石を背負って山の中で訓練したと「チベット旅行記」で語っている。約10ヶ月ここに滞在し、15人に酒を、30人ほどにタバコの葉をかむことをやめさせている。

いったんロッジに入り、それから丘の上のゴンパ(チョディ・ゴンパ)へと出かける。この町は家が高い塀に囲まれていて視界が利かない。畑も塀で囲まれている。白い壁に囲まれたまさに迷路の中を歩くようなもの。今はちょうど収穫の季節。家族総出で麦の刈り入れ、脱穀に忙しい。ゴンパへ向かう途中でも刈り取った麦が並んでいる。女たちは楽しげに作業をすすめている。立派なゴンパがある。男前の僧侶が案内をしてくれる。ちょうど印相の授業中でまだあどけない子供の僧たちの目は真剣そのものだった。

ツァーラン 壁画が残る
仏塔を見上げると壁画が残っている
仏塔内の壁画
仏塔内の壁画
>>秘境ムスタン その2 ~ローマンタンへ~


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