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バングラデシュ テキスタイル紀行【後編】

  • バングラデシュ

2025.07.15 update

Day4 ラジシャヒ

刺繍体験3 ヶ所目はモバルクプール村です。村の民家に到着すると、お庭に女性たちが集まってきて、刺繍をしはじめました。「ノクシカタ」には様々な種類があり、デザイン、縫い方は特に決まりはないようです。だからこそ個性が溢れるノクシカタができるのだなと感じました。

夢中で刺繍をする村の女性たち

夢中で刺繍をする村の女性たち

ランチ後はラジシャヒの町に戻り、シルク工房へ。蚕を育てているところから、繭から糸を紡ぐところ、糸をボビンに写し、織り機で織るところまでの流れを見学しました。

繭をつむぐ女性

繭をつむぐ女性

Day5 ラジシャヒ → タンガイル

ラジシャヒからタンガイルへ移動します。途中、インドの手ぬぐい、ガムチャの工房を見学します。村では染色された色とりどりの糸が干されていて綺麗でした。

色とりどりの糸が干される

色とりどりの糸が干される

ガムチャの緯糸

ガムチャの緯糸

タンガイル着後、ジャカード織りのサリー工房を訪問。

タンガイル地方北部は、綿花の栽培に適しており、昔から織物の産地でした。中でもタンガイル・サリーははっきりしたコントラストの色合いにシンプルな模様が織り込また優美なデザインで、バングラデシュだけでなくインドでも広く知られています。

ジャカード織りを見学

ジャカード織りを見学

タンガイル・サリー

タンガイル・サリー

Day6&7 タンガイル → ダッカ

あっという間に最終日。今日は染め体験です。一人一枚お配りしたストールを糸で絞ったり、木の板で挟んだりいろいろな技法で染めていきます。染料はインド藍。媒染が入らず、酸素に触れることで色が定着します。

板で締めた布を藍で染めていく

板で締めた布を藍で染めていく

続いてはブロックプリント体験。好きな判を選び、スカーフに押していきます。顔料は赤、青、黄色の 3 色。こちらも皆さん素敵な作品となりました。

ブロックプリント体験

ブロックプリント体験

いろいろな模様の木版たち!

いろいろな模様の木版たち!

個性豊かな藍染とブロックプリントの作品

個性豊かな藍染とブロックプリントの作品

 

ランチは村で採れたお米や野菜が使われたベンガル料理をいただきました。

野菜のカレーがおいしいベンガル料理

野菜のカレーがおいしいベンガル料理

村とお別れし、ダッカへ向けて出発です。ダッカへの移動は3 時間弱。日が変わってから、深夜の便で日本へ帰ります。7日間、お疲れ様でした。

 

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バングラデシュ テキスタイル紀行【前編】

  • バングラデシュ

2025.06.25 update

Day1 日本 → ダッカ

日本から香港経由でダッカへ。機内はバングラデシュの方々でほぼ満席、そして空港外には見渡す限り人!人!人!早速バングラデシュに来たと感じました。明日から訪れる村ではどんなテキスタイルに出会えるでしょうか、楽しみです。

Day2 ダッカ → ジョソール

朝、ジャムダニ織りで有名なルポシ村へ。ジャムダニ織りの製作過程を見学しました。工房には織り機が並んでいて、 2 人1組で制作しています。

手前がベテラン、奥がアシスタント。

手前がベテラン、奥がアシスタント。

ジャムダニ織

ジャムダニ織

ジャムダニ織とは、白のモスリン(極細の手紡ぎ糸で織られた綿織物)に縫取織で文様を表した布。刺繍をするように花の模様などを織り込みます。文様を表す緯糸は、織幅いっぱいに通さず、文様の部分のみで織り返します。この織り方はインドのベンガル地方とバングラデシュで技術が継承されており、バングラデシュでは経糸に絹が使われています。
織りの見学後、工房裏で糊付けの様子も見学しました。ルポシ村を後にし、ダッカ市内でランチ後、ジョソールへ移動します。

ジャムダニ織の糊付け

ジャムダニ織の糊付け

Day3 ジョソール → ラジシャヒ

今日はワークショップの初日です!まずはジッコルガサ村へ向かいます。家の軒先で村の女性たちがゴザを引き、準備をしてくれていました。枠と布、針が配られ、ノクシカタの刺繍体験。あらかじめデザインが写されている布に刺繍を施していきます。村の人々もたくさん集まってきて、ギャラリーの多い中での体験となりました。

たくさんの人に見守られながら刺繍体験

たくさんの人に見守られながら刺繍体験

デザインに沿って刺繍をしていく

デザインに沿って刺繍をしていく

大作も見せていただきました。

大作も見せていただきました。

美しい孔雀の刺繍

美しい孔雀の刺繍

ベンガル語で「ノクシ」はデザイン、「カタ」は布という意味があります。もともとは使い古したサリーなどの布を何枚も重ねて縫い合わせ、布団カバーや肌かけとして再利用するという発想から生まれたもの。現代でも村では伝統的な刺繍が母から娘へと受け継がれています。母親は自分の娘が結婚する際の嫁入り道具として、ノクシカタを持たせます。結婚後は故郷にはあまり戻れないため、ノクシカタを見て母を思い出す、母と娘を繋ぐ役割もしてきました。

ジッコルガサ村での体験後、フダラジャプール村へ向かい再び刺繍体験。
ここでもたくさんの作品も見せていただきました。

フダラジャプール村にて

フダラジャプール村にて

午後はひたすらラジシャヒの街を目指します。
道中はレンガ工房、田園やバナナ畑など、のどかな風景が広がっていました。

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中原の歴史探訪 雲崗と龍門

  • 中国

2025.06.12 update

雲崗石窟 第20窟 曇曜五窟の如来坐像

雲崗石窟 第20窟 曇曜五窟の如来坐像

敦煌の莫高窟とともに中国三大石窟に数えられる雲崗石窟と龍門石窟。どちらも北魏時代から建造が始まりました。魏から唐のこの時期、中国の仏像様式は、袈裟が肩にかかり耳たぶが長くなるなど、西域風から中国風に変化し、時代ごとに異なる石窟や仏像を楽しむことができます。当時の栄華を物語る石窟群の規模と素晴らしさは圧巻です。

 

雲崗石窟を訪ね大同へ

遼金時代の伽藍がほぼ完全な形で残る善化寺

遼金時代の伽藍がほぼ完全な形で残る善化寺

大同の町は山西省の北部、万里の長城の内側50kmの地点にあり、北方防衛の重要な拠点でした。漠民族対北方の遊牧民族の争いがこの地で繰り返されてきました。398年に鮮卑族の拓跛氏が北魏を建て、その都は大同(当時平城)に置かれ、大同は中国北部の政治・経済・文化の中心地として栄えました。やがて495年、孝文帝の時代に洛陽に遷都しますが、その間の100年間繁栄を極めました。

 

雲崗石窟

雲崗石窟は、武州川の北岸の断崖につくられた石窟寺院。大小合わせて254の洞窟が東西約1㎞にわたって続き、内部には51,000体以上の仏像が刻まれています。中国仏教美術最大の遺産で、2001年に世界遺産に登録されました。

北魏では太武帝の廃仏の後、文成帝が仏教を復興させました。文成帝は僧曇曜を総監督に命じ、460年から494年の孝文帝の遷都までの間、雲崗石窟の建造が行われました。背景には、廃仏の憂き目を再び味わうことがないよう、容易に破壊されない仏像、つまり石仏を作ろうという曇曜の提案があったといいます。

第5窟 高さ17mの黄金の釈迦牟尼坐像

第5窟 高さ17mの黄金の釈迦牟尼坐像

初期の5窟(第16~20窟)が完成したのは465年頃で、これらは曇曜五窟とよばれています。それぞれの石窟に北魏の皇帝5人を模した5体の大仏が鎮座しています。仏像には、インドのガンダーラ美術・グプタ様式美術の影響も色濃く見られ、ガンダーラ美術の伝搬を伝える重要な史跡となっています。

第18窟 千仏袈裟

第18窟 千仏袈裟 袈裟には小さな仏像が多数彫りこまれている

第20窟 曇曜五窟の如来坐像

第20窟 曇曜五窟の如来坐像

 

明代の城郭都市平遙古城

城壁に囲まれた城郭都市がほぼ完全な形で残る、中国でも稀有な古都、平遙。古い民家や邸宅など明代・清代の街並が当時のまま残り、古き良き時代の風情が色濃く漂います。清代末期、平遥は金融都市として繁栄し、「晋商」といわれる山西商人はここを拠点として中国全土や海外に進出していきました。中国で最初の銀行「日昇昌」も平遥で誕生しました。徒歩での散策で、飾らない庶民の暮らしぶりや、昔と変わらぬ活気ある町の雰囲気を実感できます。

平遙古城を散策

平遙古城を散策

 

平遙より洛陽へ

平遙より黄河を渡り、洛陽へ。華北を統ーした北朝の北魏ははじめ平城を都としていましたが、漢化政策を進めた孝文帝は 中原を抑えるため494年に 洛陽に遷都しました。これにより龍門石窟の造営が本格化しました。

黄河を渡り洛陽へ

黄河を渡り洛陽へ

 

龍門石窟

河南省洛陽市の南にある伊河沿いに位置する石窟。北魏時代から唐にわたり400年以上の歳月をかけて完成されました。石灰岩の岸壁に全長7kmの長さにわたり 石仏が刻まれています。石窟の数は2345、仏像数は11万を超えます。代表的な石仏である奉先寺洞の盧舎那仏は高さ約17mにもおよびます。

南北1kmにわたって掘られた龍門石窟

南北1kmにわたって掘られた龍門石窟

西山石窟

西山石窟 小さな穴1つ1つにも仏像が彫られています。

盧舎那大仏を擁する奉先寺洞(龍門石窟)

盧舎那大仏を擁する奉先寺洞

龍門石窟のハイライトである盧舎那仏は675年に完成。後に奈良・東大寺の大仏の手本になったともいわれています。盧舎那仏の左右には、釈迦の弟子である迦葉と阿難、さらに文殊菩薩、普賢菩薩、力士像が配置されています。

高さ約17mの盧舎那仏

高さ約17mの盧舎那仏

 

雲崗と龍門、2つの石窟に刻まれた仏像たちは、時代の変遷を映し出しながら、今なおその姿を保ち続けています。悠久の歴史の中で紡がれてきた遺跡を肌で感じ、その荘厳な景色には圧倒されるばかりでした。如来坐像や盧舎那仏の美しい表情が、今も心に焼き付いています。

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南北アンゴラ カランドゥーラ大瀑布と褐色の大地に生きる人々【後編】

  • アンゴラ

2025.05.26 update

南部アフリカの大西洋沿いに位置するアンゴラ。2002年に30年以上続いた内戦がようやく終結しました。広大で肥沃な台地に美しい景観が広がり、様々な民族が暮らしています。ポルトガルによる植民地時代と長い内戦を経て、発展を続けるアンゴラの魅力に迫ります。

Day6 ルアンダ → ルバンゴ

ツアーも折返しとなりました。首都ルアンダは、朝から活気がありました。

首都ルアンダ

近代的な首都ルアンダ

最古級の1664年に建設されたという、カトリックのナザレ教会へ。

ナザレ教会

ナザレ教会

アズレージョタイルで彩られた内部は、まるでポルトガルにいるような錯覚を覚えました。

夕方の国内線で南部のルバンゴへと向かいます。

Day7 ルバンゴ

この日は、海沿いの町ナミベへの往復観光です。

セラ・ド・レバ峠

セラ・ド・レバ峠

セラ・ド・レバ峠は、1970年代に造られた山岳道路ですが、遠くからのパノラマはまるで古代の遺跡のようです。元々は1600〜1700年代に奴隷によって切り拓かれたものです。

ナミベ州に入ると、風景は熱帯から沿岸砂漠へと変化していきます。
アンゴラ第三の商業港である港町ナミベは、カニが採れることで有名で、水産業が盛んです。

海岸に面したレストランでシーフードランチ

海岸に面したレストランでシーフードランチ

ナミベ郊外の砂漠地帯へと車を走らせ、アンゴラではこの地域にのみ生息するウェルウィッチアを探します。約30分走った砂漠で、いくつもの株が群生しているのを見つけました。

ウェルウィッチア

ウェルウィッチア

ナミベの町に戻って、マーケットを覗いてみると、ムクバル族の若者に出会いました。

ムクバル族の若者

ムクバル族の若者

ムクバル族は、バントゥー系民族でナミビアに暮らすヘレロ族のサブグループで、牧畜や農業に従事する半遊牧民です。ナミブ砂漠より北の、チェラ山脈から南はクネネ川に囲まれている地域に居住しています。胸を紐で縛っている女性は既婚で、子どもがいることを表しています。

ルバンゴに戻る道中でもムクバルの人々に出会えました。にこやかな皆さんの表情が、とても印象的でした。

ムクバル族の人々

ムクバル族の人々

Day8 ルバンゴ → ルアンダ

ルバンゴ郊外にあるツンダバラの絶壁へ。

市内から小一時間ほど山道を登って行くと、平坦な大地に出ます。ところがその先は、大きな大地の裂け目が待っていました。

裂け目の向こうに見えるのはナミベ州

裂け目の向こうに見えるのはナミベ州

ここで、ムウィラ族の女性や子供たちと出会いました。

ムウィラ族の人々と出会う

ムウィラ族の人々と出会う

彼らも、このルバンゴ郊外で生活する少数民族です。ムウィラ族の女性は、思春期になると、ヴィケカと呼ばれる泥とビーズでできた大きな赤い首飾りをつけます。結婚をするとヴィランダと呼ばれる黄色い首飾りに変わり、その後生涯外すことはないそうです。
髪型もステータスの一つとして考えられ、オニクラ(オーカー)と呼ばれる赤石のペーストにオイル、木の皮、牛馬の糞、ハーブを混ぜたものを塗っています。

ムウィラ族の女性

ムウィラ族の女性

さらなる少数民族との出会いを求めて南のチビアとキヒタへ向かいます。

チビアで聞き込み調査をしていると、奥の方から年配の女性たちが歩いてきました。ムガンブウェ族の女性たちです。ガイド曰く、彼女たちのように高齢になると、子や孫の世代が働いてくれるため、ほぼ移動せずに一か所で暮らすようになるそうです。なかなか出会えない少数民族の人々と出会うことが出来ました。

ムガンブウェ族の女性

ムガンブウェ族の女性

ウイラ村を通ってルバンゴに戻りました。夜のフライトで、ルアンダに戻ります。

Day9、10 ルアンダ → 日本

いよいよアンゴラ滞在最終日。最後に、サンミゲル要塞に立ち寄りました。

サンミゲル要塞

サンミゲル要塞

サンミゲル要塞は、正面の半島に上陸してから1年後に建設された要塞。1641〜1648年にオランダに奪われましたが、それ以外はフランスやイギリスなどの外敵を退けました。独自の大砲を鋳造していたアフリカで唯一の場所です。現在は、軍事博物館として公開されています。

サンミゲル要塞より、ルアンダの町並み

サンミゲル要塞より、ルアンダの町並み

名残り惜しいですが、アンゴラの大地とお別れです。10日間の旅を通じて、植民地時代の歴史や発展が進む都市の姿、そして民族との出会いなど、アフリカの大国アンゴラの多様な側面にふれることができました。

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南北アンゴラ カランドゥーラ大瀑布と褐色の大地に生きる人々【前編】

  • アンゴラ

2025.05.09 update

南部アフリカの大西洋沿いに位置するアンゴラ。2002年に30年以上続いた内戦がようやく終結しました。広大で肥沃な台地に美しい景観が広がり、様々な民族が暮らしています。ポルトガルによる植民地時代と長い内戦を経て、今なお発展を続けるアンゴラの魅力に迫ります。

Day1、Day2 日本 → ルアンダ → キッサマ国立公園

アンゴラの首都ルアンダに到着。着後、南下しキッサマ国立公園へ向かいます。

道中、ミランドゥーロ・デ・ルーア(月の谷)を見学しました。

ミランドゥーロ・デ・ルーア

ミランドゥーロ・デ・ルーア

ミランドゥーロ・ダ・ルーアは、ルアンダ市内の中心から南に40km、海岸線にある景観地区。約1kmにわたり、白亜紀にできた上層の赤土と下層の砂岩が長年にわたって風化してできた、月面のような景観です。映画のロケ地としても使われ、毎年10~11月には、オサガメやアオウミガメ、ヒメウミガメが産卵しに海岸線にやってきます。

程なくキッサマ国立公園に隣接するロッジへ。夕食は近くの海で採れたバラブーという大きな魚のフライをいただきました。

Day3 キッサマ国立公園滞在

午前中は、ボートに乗ってキッサマ国立公園付近を流れるクワンザ川の野鳥観察に出かけました。マングローブが生い茂る景色を横目に、穏やかな川面を滑るように進んでいきました。様々な野鳥や動物を観察することができました。

マングローブ林の中を進む

マングローブ林の中を進む

ヤシハゲワシ

ヤシハゲワシ

ブルーモンキー

ブルーモンキー

ミズオオトカゲ

ミズオオトカゲ

午後は、キッサマ国立公園内でのサファリドライブ。1938年に狩猟用動物保護区として設立され、1957年に国立公園になりました。公園内にはアフリカゾウやエランド、ダチョウ、ブッシュバックなどが生息しています。

大変ラッキーな事に50匹以上のアフリカゾウの大きな群れを、遠望から観察することができました。

アフリカゾウの群れを発見!

アフリカゾウの群れを発見!

夕日に輝くキッサマ国立公園

夕日に輝くキッサマ国立公園

Day4 キッサマ国立公園近郊 → カランドゥーラ

一路アンゴラ内陸部マランジェ州のカランドゥーラへと向かいます。

道中、黒い奇岩のペドラス・ネグラスへ立ち寄りました。

ペドラス・ネグラス

ペドラス・ネグラスの奇岩

巨大な石が重なった不思議な奇岩で、科学的解明がなされないでいましたが、2013年に、2億5千万年前の三畳紀に浅い海底に土砂が堆積して、さらに圧縮・風化してできたとの説が出されました。

辺りがすっかり真っ暗になった頃、ようやくカランドゥーラに到着。大変お疲れさまでした!

Day5 カランドゥーラ → ルアンダ

朝、ビクトリアフォールズについでアフリカ第二位の落差(105m)を誇る、カランドゥーラ瀑布を見学しました。ものすごい轟音と水しぶきで、滝が流れ落ちるのが見えました。

カランドゥーラ瀑布を見学

カランドゥーラ瀑布を見学

一路、ルアンダまで約380kmを走ります。

クワンザノルテ州の州都・ンダラタンドでお昼休憩。ルアンダ鉄道の沿線に位置し、コーヒー、トウモロコシ、タバコ、綿花などの集散地として賑わってきた都市です。

ンダラタンド植物園を訪問。かつてポルトガル植民地時代の農業試験場だった場所です。大樹の下でカップルや家族連れ達が、休日のピクニックランチを楽しんでいました。

ンダラタンド

ンダラタンドの町中

ンダラタンド植物園の巨木

ンダラタンド植物園の巨木

町中にはジンガ女王の座像がありました。幼い頃から政治を学び、父と兄の死後に王位を継承。奴隷貿易を支配しようとするポルトガルと戦い王国の独立を守りました。彼女は今もアンゴラの英雄として慕われています。

ジンガ女王の座像

ジンガ女王の座像

長いドライブの末、ようやくルアンダに到着しました。

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