秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

金子貴一のマニアックな旅

連載|第十三回

ツタンカーメン王戴冠式の胸飾り


拾い集めた「シリカガラス」。長さ3~5センチのものがほとんどだ。


「クレーターエリア」にあるクレーターのひとつ。直径31キロのクレーターは、巨大すぎて肉眼では確認できない。


グレート・サンド・シーでは、100キロ以上の「セイフ砂丘」(砂の山脈)が、何本も平行して走っている。
(c) Mohamed M. Abdel Aziz


砂漠の食堂テント。夕方、キャンプ地が定まると、スタッフはまず「食堂テント」を設置する。お客様の夕食後には、スタッフの雑魚寝部屋と化し、朝食後には、また畳んで出発を開始する。写真は朝食前のひととき。
(c) Mohamed Abd El-Rahman

「わー!きれい!」

 今まで腰をかがめて、砂漠のあちこちを探しまわっていた総勢9名のお客様は、口々に感嘆の声をあげながら、透明感のある石を持って集まってきた。まとめて地表におくと、全部で30粒ほどになった。太陽光線を通すと淡い黄色や緑色に光りだす。シリカガラスだ。別名「リビア砂漠ガラス」とも言われ、長年、「どの様にして出来たのか」とその起源を巡って学術論争が繰り広げられた「謎の物質」だ。現在は、ネット上で高値で取引される「宝石」でもある。

 シリカガラスが「発見」されたのは1846年。リビア東部のオアシス、クフラの有力者の使者が発見し、2年後、その情報がヨーロッパにもたらされた。1934年には、大英博物館の鉱物担当責任者が現地に派遣されて調査が行われた。その結果、シリカガラスが存在するのは、グレート・サンド・シーのなかの南北130キロ、東西53キロにわたる広大な地域であることがわかった。

 ギルフ・ケビールから四輪駆動車に分乗して北上してきた私たちは、そのグレート・サンド・シーに入って1時間ほど経った場所にいた。見渡す限りの砂漠だ。よく見ると、高さ100メートルほどの砂の山脈が、進行方向と同じ北に向かって何本も平行して走っている。この砂の山脈は「セイフ砂丘」と呼ばれ、長さ100キロのものも珍しくなく、最長のものは140キロにもなるというから驚きだ。我々は、その山脈と山脈の間にある、東西の幅5キロほどの砂の平地にいた。砂漠とはいっても、四輪駆動車が砂埃も立てずに、時速80キロ以上で走行できる安定した地表だ。

 学術研究の結果、シリカガラスは、ガラスや陶磁器の原料となる二酸化ケイ素が、2000度の高熱に2分間さらされないとできないことがわかった。自然界でそんなことはあるのだろうか。1996年には、ついにシリカガラスの国際会議がイタリアで開かれ、「2850万年前、巨大な隕石が地球に衝突した際に発生した強烈な熱で、隕石の一部や地上の岩石などの物質が融けて空中に吹き飛ばされ、ガラス成分が冷えて形成されたもの」と結論づけられた。その衝撃は、「原爆の1万倍」とも言われる強烈なものだ。さらにその結論を裏付けるかのように、サハラ砂漠最大の直径31キロにもおよぶ巨大クレーターが発見された。

 しかし、1998年、新たな発見が更なる謎をよんだ。カイロのエジプト博物館に展示されていたツタンカーメン王の戴冠式用胸飾りに、シリカガラスが使われていたことがわかったのだ。シリカガラスは、金銀でできた装飾にちりばめられたどの宝石よりも大きく、当時の最高神である太陽神ラーを表すコガネムシの一種「スカラベ」の形に加工されて、その中心にはめ込まれていた。つまり、3300年前の古代エジプト人が、グレート・サンド・シーまで行ってシリカガラスを拾ってきたことになる。現在でもたどり着くのが難しく、1970年代初頭までは正式な地図にも載っていなかったグレート・サンド・シーに、古代エジプト人はいったいどのようにして行ったのだろうか?


※朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年4月14日掲載)から



1962年、栃木県生まれ。栃木県立宇都宮高校在学中、交換留学生としてアメリカ・アイダホ州に1年間留学。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、1988年、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中より、テレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリスト、秘境添乗員としての活動を開始。仕事等で訪れた世界の国と地域は100近く。
好奇心旺盛なため話題が豊富で、優しく温かな添乗には定評がある。

NGO「中国福建省残留邦人の帰国を支援する会」代表(1995年~1998年)/ユネスコ公認プログラム「ピースボート地球大学」アカデミック・アドバイザー(1998~2001年)/陸上自衛隊イラク派遣部隊第一陣付アラビア語通訳(2004年)/FBOオープンカレッジ講師(2006年)/大阪市立大学非常勤講師「国際ジャーナリズム論」(2007年)/立教大学大学院ビジネスデザイン研究科非常勤講師「F&Bビジネスのフロンティア」「F&Bビジネスのグローバル化」(2015年)

公式ブログ:http://blog.goo.ne.jp/taka3701111/

主な連載・記事
・文藝春秋「世界遺産に戸惑うかくれキリシタン」(2017年3月号)
・朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年4月~2011年3月)
・東京新聞栃木版「下野 歴史の謎に迫る」(2004年11月~2008年10月)
・文藝春秋社 月刊『本の話』「秘境添乗員」(2006年2月号~2008年5月号)
・アルク社 月刊『THE ENGLISH JOURNAL』
・「世界各国人生模様」(1994年):世界6カ国の生活文化比較
・「世界の誰とでも仲良くなる法」(1995~6年):世界各国との異文化間交流法
・「世界丸ごと交際術」(1999年):世界主要国のビジネス文化と対応法
・「歴史の風景を訪ねて」(2000~1年):歴史と宗教から見た世界各文化圏の真髄

主な著書
・「秘境添乗員」文藝春秋、2009年、単独著書。
・「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」学研、2007年、単独著書。
・「カイロに暮らす」日本貿易振興会出版部、1988年、共著・執筆者代表。
・「地球の歩き方:エジプト編」ダイヤモンド社、1991~99年、共著・全体の執筆。
・「聖書とイエスの奇蹟」新人物往来社、1995年、共著。
・「「食」の自叙伝」文藝春秋、1997年、共著。
・「ワールドカルチャーガイド:エジプト」トラベルジャーナル、2001年、共著。
・「21世紀の戦争」文藝春秋、2001年、共著。
・「世界の宗教」実業之日本社、2006年、共著。
・「第一回神道国際学会理事専攻研究論文発表会・要旨集」NPO法人神道国際学会、2007年、発表・共著。
・「世界の辺境案内」洋泉社、2015年、共著。

※企画から添乗まで行った金子貴一プロデュースの旅

金子貴一同行 バングラデシュ仏教遺跡探訪(2019年)
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金子貴一同行 南イタリア考古紀行(2014年)
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金子貴一同行 大乗仏教の大成者龍樹菩薩の史跡 と密教誕生の地を訪ねる旅(2011年)
金子貴一同行 北部ペルーの旅(2009年)※企画:西遊旅行
金子貴一同行 古代エジプト・ピラミッド尽くし(2005年)
金子貴一同行 クルディスタン そこに眠る遺跡と諸民族の生活(2004年)
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金子貴一同行 旧約聖書 「出エジプト記」モーセの道を行く(2003年)
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