秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

金子貴一のマニアックな旅

連載|第四回

泡盛に似た香り カンボジアの酒蔵

プラダック村の酒蔵にあった蒸留器と、ロン・クンさん


チョンカウスー村の麹工房と、天日干しされる麹


内部では女性たちが麹を造っていた。右側には米を粉末化するための臼と杵が見える


カンボジアの歴史的インド化の結果でもある仏教。この写真は、ラタナキリ州で見かけた少年僧の托鉢


ラタナキリ州の精霊信仰。陸稲畑に祀られた大地の精霊。聖なる森の岩や滝は神聖視され、「病人が出たら精霊に直してもらう」という


山岳少数民族は女系社会である。山岳少数民族の女性が燻らせるパイプはそれを象徴しているように見える

 目の前に現れたのは、待望の「酒蔵」だった。茅葺きの屋根の下、長さが5~6メートルはある大きな小屋で、外には薪が雑然と置かれていた。蒸留中なのだろう。屋根のあちこちから煙が上がり、あたりには泡盛に似た独特のアルコール臭が漂っていた。

 出国前日、A教授の特命を受けて、私は現地ガイドと共に、発酵食品調査のロケハンに奔走していた。「アンコール遺跡」で有名な州都シェムリアップから車で北上すること40分。まず訪れたのが、クメール人256家族が住むプラダック村だった。村長のペッチョム氏に事情を話すと、突然の訪問にもかかわらず、村の酒蔵に案内してくれたのだ。

 酒蔵では、若い女性のロン・クンさん(28)が、一人で作業に没頭していた。質問をすると、ニコニコしながら蒸留酒の造り方を教えてくれた。

 まず、米を蒸して、ゴザの上に広げ、市場から買ってきた麹を砕いて粉末状にしたものと混ぜ合わせる。それをカメに入れ水を注いで二晩、更に、別のカメに移して水を足して二晩寝かせると醸造酒ができる。それを、朝7時に蒸留器に入れて4時間も焚き続けると、蒸気が器機の上部に取り付けられたパイプを通って外に誘導され、更にパイプが水で冷されて蒸気が結露し、アルコール度数の高い蒸留酒が滴れ落ちてくるのだという。これをビン詰めすれば出来上がりだ。外気温にも左右されるが、10キロの米から約10リットルの蒸留酒ができるという。

 次に訪れたチョンカウスー村では、麹工房に案内された。こちらも茅葺きの吹き抜けとなった大きな作業場で、女性たちが粘土をこねるようにして直径5センチ弱の麹を規則正しく並べていた。麹は「メースラー(酒の母)」と呼ばれる。30分間水に浸した米を潰して粉末にしたものと、プルーンの木の皮の粉末、ショウガの一種のロムデーンプライと呼ばれる植物の根の煮出し汁を混ぜて、団子を作る。この団子は当初は緑掛かった色をしているが、もみ殻の上に一晩置くと白くなる。それを、更に一日天日に干すと完成するという。ロムデーンプライの粉末を混ぜるのは、出来上がるお酒の量が増えるからだそうだ。

 出国日の朝、最後の調査地となった麹工房の訪問が終わると、A教授は満足気な表情で、「来年以降も、ぜひお願いしますね」と言ってくださった。毎年夏休みに行われる恒例の調査旅行の添乗のことだ。有り難い申し出だったが、結局、それは叶わなかった。この旅の直後に起こった「同時多発テロ事件」が、私の仕事の比重を、秘境添乗員からジャーナリストやアラビア語通訳へと大きくシフトさせたからである。

 あれから9年。今回、拙稿を執筆するにあたり、カンボジアの文化や歴史的背景を調べて、はじめて気づいたことがある。調査した2つの州は、好対照な場所だったのだ。

 カンボジアは東南アジアでは珍しく、単一民族に近い国だ。総人口の9割を多数派のクメール人が占める。そのなかで、最初に訪れたラタナキリ州は、少数派の先住民族である「山岳少数民族」が住む州だった。一方、次に訪れたシェムリアップ州は、9世紀から15世紀にかけて栄えたクメール帝国の首都の遺構「アンコール遺跡」がある、多数派クメール人の「本拠地」とも言える土地柄なのだ。

 山岳少数民族は、新石器時代に現在の中国南部やベトナムから移住してきたとも考えられている人々であり 、クメール人は遅れて紀元前2世紀以前に現在のタイ北東部から移住してきた「新参者」である。そのクメール人は、紀元後1世紀から、近隣の超大国である中国や特にインドの影響を受けて、ヒンドゥー教や仏教を受容しながら歴代王朝の興亡を繰り返してきた。なかでも、クメール帝国は、一時はインドシナ半島全体を支配下に置くほどの大帝国となった。クメール人はインドと中国の両文明を独自に消化して、東南アジアに広める役割をも担ったのだ。

 一方で、ラタナキリ州は、インドの影響を受ける前の伝統が残る、貴重な地域だった。クメール帝国が栄えた陰には、国内の先住民族が捕獲され、帝国を最底辺から支える奴隷として使役された事実がある。そこで、多くの少数民族は、独立性と自由を保つために山岳地帯に逃げ込んで、「山岳少数民族」となったのである。

 この2つの民族は、様々な面で好対称だった。上座部仏教を信仰するクメール人に対して精霊信仰が残る山岳少数民族、水田で育てた水稲を主食としプラホックを「魂」とするクメール料理に対して焼き畑農業を行う山岳少数民族の主食は陸稲である。男系社会で男女両系から遺産相続するクメール人に対して、山岳少数民族は女系社会だ。山岳少数民族にとって、家は歴代の女性が相続し、男性はその家に入る存在なのだ。ラタナキリ州で見かける女性がパイプをふかす姿は女系社会を象徴しているように見えた。

 2千年近くにわたって多数派のクメール人から民族性とその文化を守り続けてきた山岳少数民族。ベトナム戦争の際には、ラタナキリ州に「ホーチミン・ルート」が通っていたため米軍の執拗な爆撃を受け、その反動で、当時、反体制派だったクメール・ルージュ(ポル・ポト派)の最初の支持基盤となった。しかし、クメール・ルージュが政権を取ると、今度は、山岳少数民族の半数を虐殺したのだ。この「民族浄化」をも乗り越えた山岳少数民族だったが、現在は、「グローバル化」により、新たな文化消滅の危機に瀕しているのである。

〈解説〉

 ホーチミン・ルートとは、ベトナム戦争の際、兵力と物資を、北ベトナムから、中立国のラオスとカンボジアを経由して、南ベトナムの「南ベトナム解放民族戦線」(ベトコン)に補給した陸上・水上ルートのこと。
 米軍は、同ルートや、敵である北ベトナム軍とベトコンの軍事拠点を破壊するため、ラタナキリ州を含むカンボジア東部に絨毯爆撃を行った。アメリカは、1965年から1973年までの8年間で、約11万カ所に約275万トンの爆弾を投下したが、それは第二次世界大戦中に投下された全ての爆弾200万トンを上回る量で、カンボジアは「世界最悪の爆撃被害国」だと考えられている。


※朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年5月28日掲載)から



1962年、栃木県生まれ。栃木県立宇都宮高校在学中、交換留学生としてアメリカ・アイダホ州に1年間留学。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、1988年、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中より、テレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリスト、秘境添乗員としての活動を開始。仕事等で訪れた世界の国と地域は100近く。
好奇心旺盛なため話題が豊富で、優しく温かな添乗には定評がある。

NGO「中国福建省残留邦人の帰国を支援する会」代表(1995年~1998年)/ユネスコ公認プログラム「ピースボート地球大学」アカデミック・アドバイザー(1998~2001年)/陸上自衛隊イラク派遣部隊第一陣付アラビア語通訳(2004年)/FBOオープンカレッジ講師(2006年)/大阪市立大学非常勤講師「国際ジャーナリズム論」(2007年)/立教大学大学院ビジネスデザイン研究科非常勤講師「F&Bビジネスのフロンティア」「F&Bビジネスのグローバル化」(2015年)

公式ブログ:http://blog.goo.ne.jp/taka3701111/

主な連載・記事
・文藝春秋「世界遺産に戸惑うかくれキリシタン」(2017年3月号)
・朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年4月~2011年3月)
・東京新聞栃木版「下野 歴史の謎に迫る」(2004年11月~2008年10月)
・文藝春秋社 月刊『本の話』「秘境添乗員」(2006年2月号~2008年5月号)
・アルク社 月刊『THE ENGLISH JOURNAL』
・「世界各国人生模様」(1994年):世界6カ国の生活文化比較
・「世界の誰とでも仲良くなる法」(1995~6年):世界各国との異文化間交流法
・「世界丸ごと交際術」(1999年):世界主要国のビジネス文化と対応法
・「歴史の風景を訪ねて」(2000~1年):歴史と宗教から見た世界各文化圏の真髄

主な著書
・「秘境添乗員」文藝春秋、2009年、単独著書。
・「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」学研、2007年、単独著書。
・「カイロに暮らす」日本貿易振興会出版部、1988年、共著・執筆者代表。
・「地球の歩き方:エジプト編」ダイヤモンド社、1991~99年、共著・全体の執筆。
・「聖書とイエスの奇蹟」新人物往来社、1995年、共著。
・「「食」の自叙伝」文藝春秋、1997年、共著。
・「ワールドカルチャーガイド:エジプト」トラベルジャーナル、2001年、共著。
・「21世紀の戦争」文藝春秋、2001年、共著。
・「世界の宗教」実業之日本社、2006年、共著。
・「第一回神道国際学会理事専攻研究論文発表会・要旨集」NPO法人神道国際学会、2007年、発表・共著。
・「世界の辺境案内」洋泉社、2015年、共著。

※企画から添乗まで行った金子貴一プロデュースの旅

金子貴一同行 バングラデシュ仏教遺跡探訪(2019年)
金子貴一同行 西インド石窟寺院探求の旅(2019年)
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金子貴一同行 アイルランド゙古代神殿秋分の神秘に迫る旅(2018年)
金子貴一同行 南インド大乗仏教・密教(2017年)
金子貴一同行 ミャンマー仏教聖地巡礼の旅(2017年)
金子貴一同行 ベトナム北部古寺巡礼紀行(2016年)
金子貴一同行 仏陀の道インド仏教の始まりと終わり(2016年)
金子貴一同行 恵みの島スリランカ 仏教美術を巡る旅(2016年)
金子貴一同行 十字軍聖地巡礼の旅(2015年)
金子貴一同行 中秋の名月に行く 中国道教聖地巡礼の旅(2015年)
金子貴一同行 南イタリア考古紀行(2014年)
金子貴一同行 エジプト大縦断(2013年)
金子貴一同行 ローマ帝国最後の統一皇帝 聖テオドシウスの生涯(2012年)
金子貴一同行 大乗仏教の大成者龍樹菩薩の史跡 と密教誕生の地を訪ねる旅(2011年)
金子貴一同行 北部ペルーの旅(2009年)※企画:西遊旅行
金子貴一同行 古代エジプト・ピラミッド尽くし(2005年)
金子貴一同行 クルディスタン そこに眠る遺跡と諸民族の生活(2004年)
金子貴一同行 真言密教求法の足跡をたどる(2004年)
金子貴一同行 旧約聖書 「出エジプト記」モーセの道を行く(2003年)
金子貴一同行 エジプト・スペシャル(1996年)

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