秘境ツアーのパイオニア 西遊旅行 / SINCE 1973

金子貴一のマニアックな旅

連載|第二回

イラク国内イスラム教聖地巡り【後編】

紀元661年1月28日早朝、クーファ・モスクのミフラーブ前で、礼拝中平伏していたシーア派初代イマーム・アリは、暗殺者に刀で頭を切りつけられ、その2日後に死亡した。イマーム・アリは、人徳と宗教的知識に優れた人物だった。享年62歳


世界のイスラム教スンニ派教徒の半分が所属するというハナフィー法学派の創始者アブ・ハニーファの廟があるアブ・ハニーファ・モスク。聖地の副責任者は、いかにも宗教家らしい優しさと包容力を兼ね備えた人物だった


イスラム史上初の神秘主義教団カーディリーの創始者アル・ジーラーニーの廟(奥の格子の中に墓がある)と墓守。イスラム神秘主義では、学問を通してイスラム教を深めようとするのではなく、修行により唯一神アラーとの合一体験をめざすことで教えの真髄を把握しようとする


イラク戦争の混乱でイラク国立博物館略奪事件が起こる約半年前に、私は博物館を訪れていた。古代メソポタミアの遺物を中心とする約20万点におよぶコレクションは、圧倒的な迫力で私の魂に迫ってきた。写真は、アッシリア時代の智恵と筆記の神ナブ像(中央)と、人間の頭と牛の身体を持つ2体のラマッス守護神像(左右)

かつて1996年の旅では、異教徒の私たちには、イマーム・アリ・モスクの最深部にある廟まで入ることは許されなかったのだ。そこで、今回(2002年)は情報省の協力を得ることで、聖地にまで足を踏み入れようと考えたのだ。

 黄金や大理石を惜しみなく使って飾られたアリ廟は、まばゆいばかりの光を放っていた。世界中からの巡礼者が祈りを捧げていると、引っ切りなしに棺桶が担ぎ込まれ、廟の周りを反時計回りに廻ったかと思うと外に出て行った。イラク中のシーア派教徒は亡くなると、このように最後のお参りをしてから、先に見た「ワジ・アル・サラーム」に埋葬されるのだ。

 私は、イマーム・アリ・モスクの最高責任者に話を聞いた。

 「サダム・フセイン大統領は、預言者ムハンマドの聖なる子孫です」

 国会議員も兼ねる同師は、壁に飾られた家系図を示しながら力説した。ところが、外に出るとガイド役の情報省職員が、「大統領が預言者ムハンマドの子孫だと公言し出したのは最近のこと。実は、預言者の子孫の老女から家系図を買い取って使っているのだ」と言う。

 当初、社会主義を標榜し、秘密警察を駆使して国民を支配したフセイン政権は末期の様相を呈していた。もはやイデオロギーでは国を支配できず、スンニ派かシーア派か見分けがつかない形でイスラム教徒として礼拝する大統領の姿をTVコマーシャルとして繰り返し流し、各地にモスクやキリスト教会を建設して、敬虔な宗教者を演じることでしか国民をつなぎ留められなくなっていたのだ。

 そして、サダムは、どの聖地にもトップには国会議員などの自分に忠実な人物を据えて「宗教」を管理していた。一方で、各聖地の副責任者は、いかにも宗教家らしい優しさと包容力を持つ人格者が多かった。

 私たちは、ナジャフから約10キロ離れたクーファにあるクーファ・モスクを訪れた。同モスクはイスラム教最古のモスクのひとつで、アリが早朝礼拝で平伏した際、毒を塗られた刀で頭を斬りつけられて暗殺された場所だ。修復されて真新しくは見えるものの、暗殺現場のミフラーブ(メッカのカーバ神殿の方向を示す礼拝堂内部正面の壁)は昔のまま残っていた。

 実は、このモスクでは例の役人は応接室に留まり、モスクの聖職者に私の案内をさせたのだ。歩き始めると、案内人は私に「イスラム教徒か?」と尋ねてきた。私が首を横に振ると、「あの役人がいなければ、お前などがこの聖地に入ることは許されないのだ」と凄まれた。それは、聖地の聖職者たちの本音だったろう。しかし、情報省職員が同行してくれたお陰もあって、私は、2度のイラク訪問で、預言者ムハンマドの直系子孫12名のイマームのうち、6名のイマームが埋葬された廟内部を「巡拝」し、写真撮影まですることができたのだ。

 一人ひとりのイマームの生涯を聞くと、彼らの運命は悲惨極まりないものだった。12名のうち、初代イマームのアリは暗殺され、第3代のフサインはスンニ派のウマイヤ朝軍との戦いで戦死(カルバラにあるイマーム・フサイン廟では、1300年以上前の壮絶な殉教を悲しみ、女性の巡礼者たちが大声で泣いていた)。そして、残るイマームのうち9名までもが毒殺されているのだ。殺害の黒幕は、政敵であるスンニ派歴代カリフたちだったと考えられている。最後の第12代は、いまだ死んではおらず、「ガイバ」と呼ばれる神隠しの状態にあり、終末の際、救世主として再臨すると信じられているので、廟はない。預言者ムハンマドの直系子孫であるシーア派の歴代イマームは、血みどろの殉教を繰り返しながら、その信仰を守り抜いたのだった。

 一方、私はバグダッド市内にあるスンニ派の聖地も訪れた。約500年におよんだアッバース朝の首都として繁栄したバグダッドは、スンニ派の「聖地」でもある。

 一つは、スンニ派の4大法学派のなかで最大の影響力を誇る「ハナフィー学派」の創始者アブ・ハニーファ(紀元699頃~767年)の廟である。イスラム教のいわゆる「聖職者」とは法学者のことで、全スンニ派教徒の半分が所属するというハナフィー学派の創始者は、「大イマーム(指導者)」として崇敬されてきた。

 もう一つは、イスラム史上初の神秘主義教団カーディリーの創始者アル・ジーラーニー(紀元1077~1166年)の廟と、現教団長である第17代アハメド・アル・ジーラーニー師との面会である。同教団は、現在では西は西アフリカから東はインドネシアまで広がる巨大教団だが、教団長は「神秘主義」の雰囲気を感じさせない元外交官のインテリだった。

 私は15日間におよんだイラク滞在の最後に、イラク国立博物館を訪れた。メソポタミア文明の秘宝を中心とする約20万点のコレクションを持つ世界有数の博物館だ。しかし、1991年の湾岸戦争中に、アメリカの更なる空爆を恐れて閉鎖されたままになってしまったのだ。やっと再開したのは2000年になってから。観光客にとって、ここは「幻の博物館」だった。1980年代以降、何度となくイラクを訪れていた私にとっても館内に入るのは初めてだ。28のギャラリーに展示された遺物は圧倒的な迫力で私の魂に迫ってきた。それも、親子連れ1組以外に見学客はいない、貸切に近い状態だったのだ。

 その時は、まさか半年後にイラク戦争の混乱に乗じて博物館が略奪されることになろうとは、夢にも思わなかった。私は略奪される前の博物館を見学した最後の日本人かも知れなかった。隣国ヨルダンでイラク戦争を取材中、略奪の悲報に接した時は、強い憤りを覚えると共に、悲嘆に暮れたものだ。悲しいことに、盗まれた約1万4千点のうちの約半分が、いまだ行方不明のままなのだ。

 事件発生直後に、真相を究明し、博物館の遺物回収の特殊任務を開始した米海兵隊大佐マシュー・ボグダノスは、のちに『イラク博物館の秘宝を追え』(2007年、早川書房刊)と言うノンフィクションを出版した。そして、2002年の旅には、私が、産經新聞紙上にその本の書評を執筆するという結末までが用意されていたのだった。

注:シーア派とスンニ派

 シーア派とは、イスラム教2大宗派のひとつで、世界に約15億人いるとされるイスラム教徒の1~2割を占める宗派。主流派スンニ派との違いは、イスラム教を開いた預言者ムハンマド(紀元570頃~632年)の後継者を誰と見るかによる。

 ムハンマドは男児に恵まれず、生前、後継者を決めていなかった。そこで、死後、弟子たちの間には、後継者問題が勃発した。論争の結果、最長老のアブ・バクル(紀元573頃~634年)が後継者(カリフ)として選出され、4代にわたる「正統カリフ」時代が開かれ、その後、ウマイヤ朝、アッバース朝と「カリフ職」は引き継がれた。これらの歴史的後継者を正統と考えるのがスンニ派である。一方、シーア派は、この現実を認めず、ムハンマドの死後、後継者は、ムハンマドの従兄弟で娘婿のアリとその子孫が引き継いだと考えるのだ。

 以後、シーア派は更に分派を繰り返すが、「12イマーム派」、「ザイド派」、「イスマイル派」が、「シーア派主要3派」と呼ばれる。その中で最大の勢力を持つのが、イランやイラク南部を中心に広がる「12イマーム派」だ。本文中の「12名のイマーム」とは、「12イマーム派」が主張する歴代イマームを指す。


※朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2011年3月28日掲載)から



1962年、栃木県生まれ。栃木県立宇都宮高校在学中、交換留学生としてアメリカ・アイダホ州に1年間留学。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、1988年、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒。在学中より、テレビ朝日カイロ支局員を経てフリージャーナリスト、秘境添乗員としての活動を開始。仕事等で訪れた世界の国と地域は100近く。
好奇心旺盛なため話題が豊富で、優しく温かな添乗には定評がある。

NGO「中国福建省残留邦人の帰国を支援する会」代表(1995年~1998年)/ユネスコ公認プログラム「ピースボート地球大学」アカデミック・アドバイザー(1998~2001年)/陸上自衛隊イラク派遣部隊第一陣付アラビア語通訳(2004年)/FBOオープンカレッジ講師(2006年)/大阪市立大学非常勤講師「国際ジャーナリズム論」(2007年)/立教大学大学院ビジネスデザイン研究科非常勤講師「F&Bビジネスのフロンティア」「F&Bビジネスのグローバル化」(2015年)

公式ブログ:http://blog.goo.ne.jp/taka3701111/

主な連載・記事
・文藝春秋「世界遺産に戸惑うかくれキリシタン」(2017年3月号)
・朝日新聞デジタル「秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き」(2010年4月~2011年3月)
・東京新聞栃木版「下野 歴史の謎に迫る」(2004年11月~2008年10月)
・文藝春秋社 月刊『本の話』「秘境添乗員」(2006年2月号~2008年5月号)
・アルク社 月刊『THE ENGLISH JOURNAL』
・「世界各国人生模様」(1994年):世界6カ国の生活文化比較
・「世界の誰とでも仲良くなる法」(1995~6年):世界各国との異文化間交流法
・「世界丸ごと交際術」(1999年):世界主要国のビジネス文化と対応法
・「歴史の風景を訪ねて」(2000~1年):歴史と宗教から見た世界各文化圏の真髄

主な著書
・「秘境添乗員」文藝春秋、2009年、単独著書。
・「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」学研、2007年、単独著書。
・「カイロに暮らす」日本貿易振興会出版部、1988年、共著・執筆者代表。
・「地球の歩き方:エジプト編」ダイヤモンド社、1991~99年、共著・全体の執筆。
・「聖書とイエスの奇蹟」新人物往来社、1995年、共著。
・「「食」の自叙伝」文藝春秋、1997年、共著。
・「ワールドカルチャーガイド:エジプト」トラベルジャーナル、2001年、共著。
・「21世紀の戦争」文藝春秋、2001年、共著。
・「世界の宗教」実業之日本社、2006年、共著。
・「第一回神道国際学会理事専攻研究論文発表会・要旨集」NPO法人神道国際学会、2007年、発表・共著。
・「世界の辺境案内」洋泉社、2015年、共著。

※企画から添乗まで行った金子貴一プロデュースの旅

金子貴一同行 バングラデシュ仏教遺跡探訪(2019年)
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金子貴一同行 ベトナム北部古寺巡礼紀行(2016年)
金子貴一同行 仏陀の道インド仏教の始まりと終わり(2016年)
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金子貴一同行 南イタリア考古紀行(2014年)
金子貴一同行 エジプト大縦断(2013年)
金子貴一同行 ローマ帝国最後の統一皇帝 聖テオドシウスの生涯(2012年)
金子貴一同行 大乗仏教の大成者龍樹菩薩の史跡 と密教誕生の地を訪ねる旅(2011年)
金子貴一同行 北部ペルーの旅(2009年)※企画:西遊旅行
金子貴一同行 古代エジプト・ピラミッド尽くし(2005年)
金子貴一同行 クルディスタン そこに眠る遺跡と諸民族の生活(2004年)
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金子貴一同行 旧約聖書 「出エジプト記」モーセの道を行く(2003年)
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